2014年3月8日土曜日

68 第二章、共同体的献身の危機にあって>I. 現実の世界のいくつかの挑戦>信仰のインカルチュレーションの挑戦



68.いくつかの国民、特に西洋の国民のキリスト教の実情は、生きた現実です。そこで、特により欠乏にある人々の中に、ほんもののキリスト者らしいヒューマニズムの価値観を保つ道徳的蓄えに出会います。現実に関する信仰のまなざしは、聖霊が植えるものを認識せずにはいられません。国民の大半が洗礼を受け、その信仰と兄弟愛に満ちた連帯を様々な方法で表明している場所にキリスト教的本物の価値観がないと考えるのは、聖霊の自由で寛大な働きを信用しないことになるでしょう。そこでいくらかの「み言葉の種」よりもずっと多くのことを認識しなければなりません。というのは独自の表現と教会への帰属の仕方での本物のカトリック信仰を取り扱うからです。信仰によって刻まれた文化にある甚だしい重要性を無視するのはふさわしくありません。なぜならその宣教された文化は、その限界の向こうに、ただの現実の世俗主義の激発を前にした信者の加算よりもずっと多くの資源があるからです。福音の行き届いた大衆文化は、より正しく信仰に満ちた社会の発展を誘発することのできる信仰と連帯の諸価値を含みます。そして官舎に満ちたまなざしをもって認識しなければならない独特の知恵を持つのです。

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