2014年3月25日火曜日

125 第三章 福音の告知>I.神の民全体が福音を告げる>民間信仰にある福音を伝える力



125.この現実を理解するためには、裁くことではなく愛することを求める善き牧者のまなざしをもってこの民間信仰に近づくことが不可欠です。愛を与える生まれ持った愛情からのみ、特に貧しい人たちの中にある、キリスト教諸国の信心に見られる神学的生活を大切にすることができるのです。わたしは子供の病床の足元で、たとえ信仰宣言の内容をつづり合わせることができなくとも必死にロザリオにしがみついているお母さんたちや、マリアに助けを求めるために貧しい家でともされる一本のろうそくに注がれた、たっぷり盛り込まれた希望、あるいは十字架にかけられたキリスト像に向けられる腹の底から湧き出るそうした愛のまなざしのことを考えています。神の忠実で聖なる民を愛する人は、こうした行為を、神性の普通の探求としてのみ見ることはできません。こうした行為はわたしたちの心に注がれた聖霊の働きによって生かされた一つの神学的いのちの表明なので(ロマ55節参照)。

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