116.このキリスト教の二千年紀の間に、数えきれないほどの国々が信仰の恵みを受け入れ、その日々の生活にこの恵みを花開かせ、独自の文化様式に従って伝達してきました。ある共同体が救いの告知を受け入れるとき、聖霊は福音にある変革をもたらす力をもってその文化を実り豊かなものとするのです。そうして、教会の歴史においてみることができるように、キリスト教にはたった一つの文化様式があるのではなく、「福音の告知と教会の伝統に全面的に忠実でありながら自己を完全に保つことによって、キリスト教はまた、多くの文化や民族の顔をもつようになるでしょう」[88]。さまざまな国において、自らの文化に基づいて神の賜物を経験しているのですが、教会はその真正なカトリック性を表現し、「この多様な顔の素晴らしさ(美しさ)」[89]を示します。福音化された民のキリスト教的表明において、聖霊は教会を美しくし、教会に刷新の新しい局面を示し、新しい顔ぶれをプレゼントするのです。文化内開花(インカルチュレーション)において、教会は「人々を彼らの文化とともに教会共同体の中へと導くのです」[90]。なぜなら「あらゆる文化は福音を告げ知らせ、抱き、生きる方法を豊かにすることのできる肯定的な諸価値と諸形式を提供する」[91]からです。このように、「教会は、さまざまな文化の価値を引き受けながら、『sponsa ornata monilibus
suis』つまり『自らをその宝石で飾る花嫁』(イザヤ61章10節参照)となるのです」[92]。
[90] ヨハネ・パウロ二世、使徒的書簡『救い主の使命』(1990年12月7日), 52: AAS 83 (1991), 300。使徒的勧告『要理教育に関する使徒的勧告』(1979年10月16日)、53: AAS 71 (1979), 1321参照。
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