2014年3月24日月曜日

100 第二章、共同体的献身の危機にあって>II. 司牧の要人に訪れる誘惑>わたしたちの間での争いに対する「いいえという答え」



100.歴史的な分裂で傷ついている人々にとって、ゆるしと和解をわたしたちが進めていることを受け止めるのは難しいものです。というのも、わたしたちが彼らの痛みを無視しているか、記憶や理想を彼らが失うようにと促していると読み取るでしょうから。けれどもしほんとうに兄弟愛に満ち和解しあった共同体の証しを見るならば、それはいつも魅力的な光なのです。そのため、あるキリスト教の共同体が、しかも奉献生活者同士の間ですら、さまざまな形で憎しみや分裂、誹謗中傷や名誉棄損、復讐、嫉妬、何が何でも自分の考えを押し付けようとする望、さらにはまるで容赦ない魔女狩りのように見える追い詰めをどれほど放任しているかを確認するのは、わたしにとってとても胸の痛むことなのです。そのような振る舞いをしながら、誰に福音宣教をしようというのでしょう?

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