123.民間信仰において、受けた信仰が一つの文化に受肉して、伝達され続けているありかたが感じ取られることになりえます。ある時代には不信のまなざしで、公会議以後の何十年かは再評価の対象となってきました。その意味で決定的な促しをしたのはその使徒的勧告『福音宣教』におけるパウロ六世、その人でした。そこで民間信仰は「単純で貧しい人々のみが知りうる神へのかわきをあらわしています」[100]。そして「信仰の表明に当たっては、英雄的な雄々しさや犠牲さえ見られます」[101]。わたしたちが生きている現代に一番近いものでは、ベネディクト十六世が、ラテンアメリカにおいて、これは「カトリック教会の貴重な宝」に関わるものであること、そしてその民間信仰のうちに「ラテンアメリカ諸国民の魂が見える」ものであると指摘しました[102]。
0 件のコメント:
コメントを投稿