62.支配的な文化では、第一の関心事は外面的なもの、すぐできるもの、見えるもの、速いもの、表面的なもの、一時的なものが占めています。ほんとうのものが、見せかけに座を譲っています。多くの国では、グローバリゼーションは経済的には発展しているけれど倫理的には弱まった他の諸文化に属する傾向の乱入に伴う文化的根本の猛スピードの悪化を意味してきました。そのように諸大陸で行われたさまざまな司教シノドスでこのことが表明されてきました。アフリカの司教団はたとえば、回勅『真の開発とは―人間不在の開発から人間尊重の発展へ』を改めて引き合いに出しながら、数年前に、しばしばアフリカの国々が単なる「一つのメカニズムのパーツ、巨大な歯車のパーツ」になるようにと求められていることを指摘しました。「これはしばしばソーシャル・コミュニケーションのメディアの分野で生じます。そこでは、これがほとんどの割合で世界の北側に牛耳られているため、こうした国々独特の優先生と問題に関するふさわしい考察がいつもあるわけではなく、その文化的様相をも尊重しないのです」[57]。同様に、アジアの司教団も「外面からアジア諸文化の上に遂行される影響を強調しました。振舞いの新しい形式が現れてきています。それらはソーシャル・コミュニケーションのメディアへの極度の露呈の結果です。[…]。それには結果としてコミュニケーションとエンターテイメントのメディア産業の否定的側面が伝統的価値観を危機にさらしているということになっています」[58]。
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