2014年3月24日月曜日

96 第二章、共同体的献身の危機にあって>II. 司牧の要人に訪れる誘惑>霊的な世俗性への「いいえという答え」



96.この文脈では、ある種の権力を持つことで満足し、前線で戦い続けている騎兵中隊の平の兵隊よりも敗北した軍隊の隊長になることを好むような人々の虚栄が培われることになります。何度わたしたちは、敗北する隊長に特有の、領土拡張主義的で、丹念で、よく描かれた使徒的計画を夢見ることでしょう!そうやって、わたしたち教会の歴史を否定します。教会の歴史は犠牲と希望と日々の戦いと、ほころびるほどまでに奉仕にやつされた生活、あらゆる仕事が「わたしたちの額の汗」であるがために疲れをも伴う仕事での踏ん張りの歴史であるがために栄光に満ちているということを否定するのです。その代わりに、外側から指摘する霊的教師や知恵ある司牧者のように、わたしたちは「なされなければならなかったこと」についてえらそうに語ることで暇を持て余し-これは「こうあるべきだった主義」という罪です-ます。限りないわたしたちの創造力を培うこと、わたしたちの忠実な民の苦しみの現実とのコンタクトを失います。

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