2014年3月24日月曜日

97 第二章、共同体的献身の危機にあって>II. 司牧の要人に訪れる誘惑>霊的な世俗性への「いいえという答え」



97.この世俗性に陥った人は、上から、そして遠くから物事を眺め、兄弟たちの預言を拒絶し、自分に問いかける人のことを取るに足りない存在とみなし、他人の揚げ足取りばかりをし、見せかけにこだわります。心からその内在性と自分の関心の閉ざされた展望への言及に終始し、この結果として、自分の罪から学ぶこともなく、ゆるしに対しても本当の意味で開かれないのです。これは、善の見せかけを伴ったひどい腐敗です。自分から出ていく動きとイエス・キリストを中心とした使命、貧しい人々への献身への動きに教会を据えることで、これを妨げなければなりません。霊的な服装、あるいは司牧の服装の下に世俗性を隠した教会から神がわたしたちを解放してくれますように!この息の詰まりそうな世俗性が聖霊の清い風に好ましい姿勢をもって癒され、神を全く持たない空っぽの宗教性の見せかけに隠れた、わたしたち自身に集中することから解放してくれますように。

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