2014年3月9日日曜日

76 第二章、共同体的献身の危機にあって>II. 司牧の要人に訪れる誘惑



76.教会で働くすべての人の務めに対してものすごく感謝しています。わたしはいま、司教にはじまって教会奉仕の最も簡素で知られていないものに至るまでの多様な司牧要人の諸活動を紹介するために時間をとるつもりはありません。むしろこの全員が今のグローバル化した文化のただなかで直面している挑戦について考えをめぐらしたいと思うのです。けれど、なによりもまず、正義の責務として、教会が現代世界に差し出しているものは巨大だと言わなければなりません。教会のメンバーのうちの誰かの罪やわたしたち自身の罪が原因となっている、わたしたちの痛みやわたしたちの羞恥心のせいで、どれほど多くの人が愛のために命をささげているか、いろいろと不足している病院で多くの人々をいやしたり安らかに逝けるように手伝ったりしているか、地上の最も貧しいところで様々な中毒症状の奴隷となっている人々と歩みをともにしているか、子供たちや青年たちの教育に骨身を削っているか、すべての人から捨てられた老人たちの世話をしているか、敵対心に満ちた環境で価値観を伝達しようとしているか、人となられた神がわたしたちにインスピレーションを与えた人類への長大なその愛を示す他の多くの方法に身をささげているか忘れるわけにはいきません。喜びをもってその命と時間をささげている本当に多くのキリスト者が示している美しい模範に感謝します。その証しはわたしによくはたらき、わたしの利己心を乗り越えより捧げるためにわたしを支えてくれます。

0 件のコメント:

コメントを投稿