2014年3月10日月曜日

80 第二章、共同体的献身の危機にあって>II. 司牧の要人に訪れる誘惑>宣教的霊性の挑戦への「はいという返事」



80.司牧の要人のなかに、持ちうる霊性のスタイルや考え方の路線をこえて、教義主義よりもさらに危険な相対主義が繰り広げられるのです。ある生き方を決定づけるより深く誠実な選択肢を考慮に入れなければなりません。この実用的な相対主義は、まるで神が存在していないかのようにはたらくこと、まるで貧しい人たちが存在していないかのように定めること、他の人がまるでいないかのように夢描くこと、まるで福音の宣言を受けていない人がいないかのように働くことなのです。気になるのは、一見教義的、また霊的革新をしっかりと抱いているかのように見える人までもが、経済安定や、宣教において他の人々に命を与える代わりに、どのような仕方でも見出されるような権力や人間的栄光のスペースに固執する気に至らせるライフスタイルによく陥っている、ということです。宣教師としての熱意を奪われないようにしましょう!

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