2014年3月25日火曜日

119 第三章 福音の告知>I.神の民全体が福音を告げる>わたしたちはだれもが宣教する弟子



119.洗礼を受けた者ならだれにでも、その始めから終りまで、福音を伝えようと促す聖霊の、聖化をもたらす力が働いています。神の民は聖なるものですが、それは「in credendo(信じつつ)」不可謬にするこの油注ぎによります。これは、たとえ自分の信仰を説明するための言葉を見出すことができずとも信じるときには過つことがないということを意味します。聖霊はこれを真理において導き、救いへと導きます[96]。人類へのその愛の神秘の一部として、神は、本当に神から来るものを識別するのを助ける信仰の直観-sensus fidei-を信者たちの全体性に備えます。聖霊の現存はキリスト者たちに神の現実とのある種の生得性と、これを、たとえ的確に表現するためのふさわしい方法がなくとも、直観的に感じ取ることができるようにする知恵を与えるのです。


[96] 第二バチカン公会議『教会に関する教令』, 12参照。

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