2014年3月8日土曜日

64 第二章、共同体的献身の危機にあって>I. 現実の世界のいくつかの挑戦>いくつかの文化的挑戦



64.非宗教化のプロセスは信仰や教会を個人的で内面的な環境に狭める傾向にあります。しかも、超越的なものをすべて否定することで、倫理的なゆがみがますます成長するという事態を生み出し、個人的また社会的罪の意識を弱め、相対主義の急速な成長をもたらし、こうして全般的に方向が見失わるようになりました。特に思春期や青年期の、変化に対してとても傷つきやすいステージにおいての当惑は甚だしいものです。アメリカ合衆国の司教団はこのことを見事に指摘したものです。教会が、目的性があり誰にでも有効な道徳規律の存在を強調する一方で、「この教えを不正であると紹介する人もいるのです。つまり、基本的人権に触れるものだと言うのです。こうした口答弁論は、もろさのないわけではない、個人の絶対的な権利への信念と一緒になった道徳的相対主義の形でやってくるのが一般的です。この観点において、教会のことを、独自の偏見を推進し、個人の自由を妨げるものであるかのように見て取るのです」[59]。すべてを同じレベルで扱い、わけ隔てのないデータでわたしたちをいっぱいにする情報社会に私たちは生きています。そして道徳的問題を取り上げようとするときにはとてつもない表面性に導かれていることになるのです。そのようなわけで、批判的に物事を考えるようにと教え、価値観における成熟の道を提供するような教育が再び必要になっているのです。


[59] 合衆国カトリック司教評議会、『同性愛傾向にある人への奉仕職:司牧ケアの手引き』、2006年、17項。


0 件のコメント:

コメントを投稿