2013年11月26日(火)、ローマ時間の昼前に 教皇フランシスコによる最初の使徒的勧告が出ました。 『Evangelii Gaudium(福音の喜び)』です。 ちなみに、オリジナルはパパ自らがスペイン語で書いたそうです。 中央協議会の訳が出るまで、しばしの間、 時間の許す限りぼちぼちゆるーくアップして行く予定です。 拙訳ですがお楽しみください。
2014年5月4日日曜日
175 IV.ケリュグマを深めるための福音宣教>みことばを囲んで
175.聖書研究はすべての信者に対して開かれた扉でなくてはなりません[136]。啓示されたみことばが抜本的に要理や信仰伝達のためのあらゆる努力に実りをもたらす力を与えるのは基本です[137]。福音宣教には神のみことばとの親しさが求められ、このことは、すべての教区、小教区、カトリックの全団体に、個人的また共同体的な祈りの中での聖書読書を推進するといったように、聖書の真剣で根気良い研究を提案するように強要しています[138]。わたしたちは手探りで探すこともなく、神が何か私たちに言葉を語ってくれるのを待つ必要もありません。なぜならほんとうに「神は語られ、もはや大いなる道の存在ではなく、自らを示した」[139]からです。啓示されたみことばの最高の宝を受け入れましょう。
174 IV.ケリュグマを深めるための福音宣教>みことばを囲んで
174.説教だけが神のみことばで養われなければならないわけではありません。あらゆる福音宣教は聞かれ、瞑想され、生きられ、祝われ、証されたみことばによって基礎を据えられているのです。聖書は福音宣教の泉です。ですから、みことばを傾聴することでたゆまず自らを養成することは欠かせません。教会はもし継続的に自らが宣教してもらおうとしなければ、宣教をすることはできません。みことばが「ますますあらゆる教会活動の中心(心臓)」[135]となるのは不可欠です。聞かれ、祝われた神のみことば、特に聖体祭儀においてそうなされたみことばは、キリスト者を内側で培い、新たな力を与えます。そしてキリスト者が日々の生活の中で福音的な本物の証しができるようにするのです。すでにみことばと秘跡の間の古い対立は乗り越えました。宣言され、生きられ、効果的なみことばは秘跡を受ける準備をし、秘跡の中で、その言葉はその最大の効果を発揮するのです。
173 IV.ケリュグマを深めるための福音宣教>成長のプロセスの個人的人格的な同伴
173.ほんものの霊的同伴はいつでも、福音宣教の使命への奉仕の環境の中で始められ、実行に移されます。パウロのテモテやテトスとの関係は、使徒的行動のただなかでのこの同伴と養成の模範です。「すべてを組織し終える」ためにそれぞれの町に残るという使命を任せると同時に(テトス1章5節、Iテモテ1章3-5節参照)、個人的な生活と司牧活動のための判断基準を与えます。これはあらゆるアンティミスム(親密派)的な同伴や孤立した自己実現とは明らかに違います。弟子であり宣教者である人々が弟子であり宣教者である人々に同伴するのです。
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