2014年3月9日日曜日

70 第二章、共同体的献身の危機にあって>I. 現実の世界のいくつかの挑戦>信仰のインカルチュレーションの挑戦



70.また、時々、キリスト者の信心に促されることよりも、あるグループの伝統の外面的形式や、個人的啓示が可能性としては存在するもののこれを絶対化したものにアクセントが置かれていることも確かです。実際にはほんものの「民間信心」に答えていない、信仰の個人的で感傷的な体験独自の、信心に基づくキリスト教主義もあります。社会の推進や信者の要請を気にすることなくこうした表現を推進する人たちもいて、なかにはこれを経済利益や他者に対するある種の権力を得るために行っていることもあるものです。ここ最近の数十年にはカトリックの国でキリスト教信仰の世代間伝達の断絶が生じていることも無視することができません。カトリック伝統に不服を感じ自分のアイデンティティをそこに置くのをやめている人が多いのも否定できません。自分の子供たちに洗礼を授けず、祈りを教えない親はさらに多く、他の信仰共同体へのある種の出エジプトも見られます。こうした断絶の原因には次のようなものがあります。家庭内対話のスペースの不足、マス・メディアの影響、相対的主観主義、市場を肥やすとどまることを知らぬ消費主義、より貧しい人への司牧的随伴の不足、わたしたちの組織における心のこもった歓迎の欠如、そして多元宗教の舞台における信仰の神秘的参加を再生させるためのわたしたちが抱える困難などです。

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