2014年3月25日火曜日

112 第三章 福音の告知>I.神の民全体が福音を告げる>すべての人々のための一つの民



112.神がわたしたちに差し出す救いは、憐みのわざです。どんなに良いものであっても、これほど大きな賜物にわたしたちをふさわしくする人間的な行為はありません。神は、ただひたすら恵みによって、わたしたちをご自分と一つにするためにわたしたちを引き寄せます[79]。彼はわたしたちの心にその霊を送り、わたしたちをご自分の子どもたちとし、わたしたちを作りかえ、わたしたちをその愛に自分の生き方をもって答えることができるようにします。教会は神によって捧げられた救いの秘跡としてイエス・キリストによって遣わされています[80]。彼女(教会)は、その福音化の働きを通して、あらゆるありうる監督をずっと超えてたゆまず働き続ける神の恵みの道具として協力するのです。ベネディクト十六世はシノドスの回想を始めるにあたり、見事に表現しました。「最初の言葉、ほんもののイニシアティブ、本物の活動は神から来るのであり、この神のイニシアティブにわたしたちが入る限りにおいて、この神のイニシアティブをわたしたちが願い求める限りにおいて、わたしたちも-神とともに、神のように-福音宣教者でありうるのだということを知っていることは重要なことです」[81]。恵みの優先性の基本が福音化についてのわたしたちの回想を継続的に照らす街頭でなければならないのです。


[79] 提言4参照。
[80] 第二バチカン公会議、『教会に関する教令Lumen Gentium』、1
[81] 第十三回司教シノドス通常総会の第一回集会の黙想2012108日): AAS 104 (2012), 897.

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