112.神がわたしたちに差し出す救いは、憐みのわざです。どんなに良いものであっても、これほど大きな賜物にわたしたちをふさわしくする人間的な行為はありません。神は、ただひたすら恵みによって、わたしたちをご自分と一つにするためにわたしたちを引き寄せます[79]。彼はわたしたちの心にその霊を送り、わたしたちをご自分の子どもたちとし、わたしたちを作りかえ、わたしたちをその愛に自分の生き方をもって答えることができるようにします。教会は神によって捧げられた救いの秘跡としてイエス・キリストによって遣わされています[80]。彼女(教会)は、その福音化の働きを通して、あらゆるありうる監督をずっと超えてたゆまず働き続ける神の恵みの道具として協力するのです。ベネディクト十六世はシノドスの回想を始めるにあたり、見事に表現しました。「最初の言葉、ほんもののイニシアティブ、本物の活動は神から来るのであり、この神のイニシアティブにわたしたちが入る限りにおいて、この神のイニシアティブをわたしたちが願い求める限りにおいて、わたしたちも-神とともに、神のように-福音宣教者でありうるのだということを知っていることは重要なことです」[81]。恵みの優先性の基本が福音化についてのわたしたちの回想を継続的に照らす街頭でなければならないのです。
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