2014年2月14日金曜日

61 第二章、共同体的献身の危機にあって>I. 現実の世界のいくつかの挑戦>いくつかの文化的挑戦



61.わたしたちは、示されうる様々な挑戦に立ち向かおうとするときにも福音宣教をします[56]。しばしばこれらは宗教の自由に対する真の攻撃やキリスト者に対する迫害の新たな状況において示され、ある国ではこれは、憎しみと暴力のただならぬレベルにまで至っています。多くの場所ではむしろ、全体主義に見えそうなあらゆるものに対する反応として促されたイデオロギーへの幻滅と危機に関連する、広まっている相対主義的無関心として扱われています。これは教会だけではなく、社会生活全般に害を及ぼします。一人ひとりが自分勝手な真理の運び手となりたがるような文化では、その市民が個人の利益や望みを越えた共通のプロジェクトを統合しようと望むのが難しくなるのです。


[56] 提言13

60 第二章、共同体的献身の危機にあって>I. 現実の世界のいくつかの挑戦>不平等は暴力を生み出す



60. 現実の経済の仕組みは消費の激化を促進させますが、不安感と一体化して留まることを知らぬ消費主義は社会の網で二重に害を及ぼすものとなっています。そのように不均等は、遅かれ早かれ武装主義の競争が解決せずこれからも決して解決することのない一種の暴力を生み出します。それは、まるで今日武器や暴力的抑圧が、解決策を講じるよりも新たなそしてさらにひどい対立を作り出すことをわたしたちが知らないかのように、ただより確かな安全性を訴える人々を誤魔化そうとするためだけに役立つのです。ふさわしくない一般化を伴って自分自身の悪によって生まれた貧しい人々や貧しい国々に罪をなすりつけ、彼らを静かにさせ、彼らを飼いならされ犯行をしない生き物へと変えるいわゆる《教育》に解決を見出そうとして、単にこれを楽しんでいる人もいるのです。もし疎外されている人々が多くの国々で、その政府の中や会社、組織、どのようなものであれ政府の政治理論の中に深く根ざしている汚職という、その社会のガンが大きくなるのを見るならば、これはさらによりイライラさせるものとなるのです。