2014年3月12日水曜日

88 第二章、共同体的献身の危機にあって>II. 司牧の要人に訪れる誘惑>イエス・キリストを生み出す新しい関係への「はいという答え」



88.キリスト者の理想はいつも、今の世界がわたしたちに強要する疑念や、継続的な不信感、襲われる恐れ、防衛的な態度を乗り越えるように招くでしょう。多くの人々は他の人々から逃げて居心地の良いプライバシーやより近しい仲間に狭められた輪に向かおうとし、福音の社会的次元の現実を放棄しています。なぜなら、ある人々が望んでいるように、肉体も十字架もない純粋に霊的なキリストも、かっこいい電子機器や、思い通りにつけたり消したりできるスクリーンやシステムによってのみ持たれる非人格的な傾向に走ろうとするからです。一方で、福音は、他者と顔と顔を合わせる出会い、問いかける物理的存在、その匂い、その訴え、体から体へ絶えず伝わっていくその喜びとの出会いという危険に身をさらすようにといつもわたしたちを招いています。肉体となった神の子への本当の信仰は、自分自身の賜物や、共同体への帰属、奉仕、他の人々の肉体との和解と不可分です。神の子は、その受肉において、わたしたちを温もりの革命へと招いたのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿