2013年12月1日日曜日

12 導入>II. 福音を伝えることの甘美で力強い喜び>永遠の新しさ



12.もしこの宣教の使命がある寛大なささげをわたしたちにしつこく求めているのであれば、これを英雄的で個人的な仕事と理解するのは間違いでしょう。というのもはたらきはなによりもまず、キリストのものであって、わたしたちが見出したり理解したりできることのずっと向こうから来るのです。イエスは「最初の一番偉大な福音伝達者」[9] なのです。どのような形の福音方法であれ、主座にいるのはいつだって、自分に協力するようにとわたしたちを呼ぼうと望み、その自分の霊の力でわたしたちを内側から促そうと望んだ神さまなのです。ほんとうの新しさは、何千もの仕方で、神さま自身が神秘的に創りだそうと望み、神さまが着想を与え、神さまが駆り立て、神さまが導き、共に歩む新しさなのです。教会の全生活においていつでも主導権は神にあること、「神がまずわたしたちを愛してくださった」(Iヨハ419節)こと、「成長させてくださるのは神である」(Iコリ37節)ことが示されなければなりません。この確信のおかげで、わたしたちはこの人生すべてを捉える、これほどまで多くを要求し挑戦に満ちた努めのさなかで、喜びを保つことができるのです。


[9] パウロ六世、使徒的勧告『福音宣教』(1975年12月8日), 7: AAS 68 (1976), 9.

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