2013年12月3日火曜日

27 第一章:教会の宣教的変容>II. 立ち返りつつある司牧>後回しにできない教会の刷新



27.教会にあるさまざまな習慣や生活様式、時間割、言葉づかい、全枠組みが、自己保存のためよりも、現代世界で福音を広めるためにふさわしい川床となるような、すべてを変革することのできる宣教者としての選択があれば、と夢見ています。司牧的回心を強要する構造改革は、次の意味でのみ理解されうるものです。それは、構造改革全体がより宣教を生きるものとなり、すべての権力機関における普通の司牧がより伝播的で開かれたものとなり、司牧担当者たちを恒常的に出かけの態度に据え、そうしてイエスがその友情へと呼び集めるすべての人々に対して好感度の高い応えを提供できるようになることです。ヨハネ・パウロ二世がオセアニアの司教団に言っていたように、「教会のふところにおけるあらゆる刷新は、一種の教会的内向性の虜にならないために、目標として宣教へと傾かなければなりません」[25]


[25] ヨハネ・パウロ二世、シノドス後使徒的勧告『オセアニアにおける教会』(20011122日), 19: AAS 94 (2002), 390.

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