2013年12月3日火曜日

21 第一章:教会の宣教的変容>I. 出かけていく教会



21.弟子たちの共同体の生活を満たす福音の喜びは、宣教者の持っているような喜びです。72人の弟子たちはこの喜びを体験し、歓喜に満ちて宣教から帰って来ます。イエスはこの喜びを生きました(ルカ1017節)。この喜びをイエスは信じ、聖霊のうちに喜びに打ちふるえ、父を賛美します。なぜならその啓示が貧しい人たちや目立たない人たちに届くからです(ルカ1021節参照)。五旬祭のときに「それぞれ自分の生まれ故郷の言語で」(使徒26節)使徒たちが説教しているのを聞いて回心する最初の人々は驚きに満ちてこの喜びを感じます。その喜びは福音が告げられたこと、それが実りをもたらしていることのしるしです。けれどいつもそこには出エジプトと自分自身から出ていくという賜物、歩んではいつも改めて蒔きに行く、いつももっと向こうに種を蒔きに行く躍動力があります。主がこう言います。「他のところに行こう。近隣の村々でも告げ知らせよう。なぜならそのためにわたしは出てきたのだから」(マルコ138節)。すでにあるところで種がまかれているなら、よりよく説明するため、あるいはそこでそれ以上のしるしをするためには留まらず、聖霊がイエスを動かし他の村々に向けて出ていくように促すのです。

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