2013年12月4日水曜日

39 第一章:教会の宣教的変容>III. 福音の心から出発して



39.諸徳の間での器官のようなはたらきが、キリスト者の理想からその徳のいずれも除外されないようにと防いでいるように、どの真理も否定されません。福音のメッセージの全体像を切断してはなりません。それよりも、それぞれの真理をキリスト教のメッセージの調和に満ちた全体との関わりの中にそれを据える方がよりよく理解されるのです。そしてその文脈においてあらゆる真理はそれぞれ重要で、互いに照らし合うのです。説教が福音に忠実である場合、真理のいくつかの中心がはっきりと示され、キリスト者の道徳的説教は厳格な倫理観ではなく、禁欲主義よりもすばらしいもので、単なる実用的な哲学でも、罪や過ちのカタログでもないということがはっきりするのです。福音はなによりもまずわたしたちを救う愛を示す神に応えることへと招きます。他者の中にこの神がいることを認め、わたしたち自身の殻から出ていき他の人々の善を求めることへと招くのです。その招きはどのような状況に取り囲まれていたとしてもかげってはなりません!あらゆる徳はこの愛への応答に仕えるものです。もしその招きが力と魅力をもって輝かないなら、教会の道徳的構造はトランプで作られた城になり下がる危険に陥り、そこにこそわたしたちの最悪の危険が待ち受けているのです。なぜならそこで告げ知らされるのは結局福音ではなく、ある限定された主義主張の意見から来る教義的あるいは道徳的強調点にすぎないからです。メッセージはその爽やかさを失い、「福音の香り」を漂わせなくなる危険に陥るのです。

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