2013年12月3日火曜日

26 第一章:教会の宣教的変容>II. 立ち返りつつある司牧



26.パウロ六世は刷新への呼びかけを広めるようにと招きました。そうして孤立した個々人にだけ向けられるのではなく教会全体に向けられる力をもって表明するためです。質疑を生み出す力をまだ失っていない記念的なテキストを思い出しましょう。「今こそ教会は、自分自身についての自覚をふかめなくてはならない。[]このことをはっきり自覚したとき、そしてその自覚を行動にうつそうとするとき、自然と二つの教会の姿をくらべてみないわけにはいかない。一方にはキリストが見、のぞみ、また愛したもうた教会の理想の姿がある。それはキリストの清らかな汚れない花嫁である(エフェ527節参照)。他方には、今日教会が示している現実の姿がある。[…]そしてここから、大胆に、そしていわば空しく時を失うのを恐れて、革新を行う必要が、すなわち数々の欠点を是正する必要がうかび上がってくる。こうした欠点をあの自覚が、いわば内面の究明というか、キリストがのこしたもうた模範に自らを照らし合わせて、見出しまた斥けるのである」[23]。第二バチカン公会議は教会の回心を、イエス・キリストへの忠誠による自らのたゆまぬ改革への開きとして提示しています。「教会の刷新はすべて、本質的には教会の召命に対する成熟した忠実さにあるので[…]、旅する教会は、地上的で人間的な制度がつねに必要としている改革をたえず行うようキリストから招かれている」[24]。福音を広めるダイナミズムに条件を付けてしまうことのできる教会の枠組みもありますが、同じようによい枠組みは、それを励まし、支え、そのために命を賭ける生き方があれば役に立つのです。新しいいのちと福音の本ものの精神もなく、「教会の自らの召命に対する忠実さ」もない、てきとうな新しい枠組みというのは、短期間で崩れてしまいます。


[23] パウロ六世、回勅『エクレジアム・スアム』(196486日)3: AAS 56 (1964), 611-612.(中央出版社、1011頁)。
[24] 第二バチカン公会議、エキュメニズムに関する教令『ウニターティス・レディンテグラツィオ, 6.

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