2013年12月5日木曜日

51 第二章、共同体的献身の危機にあって



51.現代の現実について詳細で完全な分析を提供するのはパパの務めではありませんが、全共同体を「時々のしるしを検討するつねに目覚めた能力」[54]へと鼓舞します。大変な責任を扱います。というのも現在のいくつかの現実は、もししっかりと解決されていなければ、今後取り返しのつかなくなりそうな非人間化のプロセスを始めてしまうかもしれないからです。み国の実りでありうるものと、神のプロジェクトに対して反撃をしようとするものとをはっきりさせるべきなのです。これはよい霊と悪い霊の動機を認識し解釈するだけではなく、ここに決定的なものが根差すのですが、よい霊を選び、悪い霊を拒むことまでも問われているのです。地方司教団と国レベルの司教団が提案したように、普遍的教導職の他の諸文書が提供した様々な分析を前提とします。この勧告では、司牧の眼差しをもって、神の民の命と尊厳に影響するからであれ、教会組織や福音を広める務めにより直接参与する人々の中にも関わるからであれ、教会の宣教的刷新のダイナミズム(躍動力)をとどめたり弱めたりしうる現実のいくつかの局面に短く留まるに限ろうと思います。


[54] パウロ六世、回勅『エクレジアム・スアム』(196486日), 19: AAS 56 (1964), 632.

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