15.ヨハネ・パウロ二世はわたしたちがキリストから遠く離れている人々に「告げることによる要求を活き活きと保つことが必要」だということに気付くようにと招きました。「なぜならこれこそが教会の〈優先課題〉だからです[14]。宣教活動は「今日にあってもなお教会にとって〈より大きな挑戦〉を意味し[15]、「宣教の理想は〈第一のものでなければならないのです〉」[16]。もしこうした言葉を本当に真剣に捉えるなら、何が起こるでしょう?単純に、宣教に出ていくことは教会のあらゆる働きの規範(パラダイム)であることを認識するに違いありません。この路線で、ラテンアメリカ司教団はもはや「自分たちの聖堂で受け身で待っているだけで安穏としているわけにはいかない」[17]こと、「単なる維持の司牧から決定的に宣教的な司牧へと」[18]移っていかなければならないけれど、それはまだできていないことを明言しました。この務めはより多くな喜びの源泉としてあり続けています。「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカ15章7節)のです。
0 件のコメント:
コメントを投稿