2013年12月1日日曜日

10 導入>II. 福音を伝えることの甘美で力強い喜び



10.提案は、より勝ったレベルで生きることですが、強度をより押さえてではありません。「いのちは与えながら育ち、孤立と居心地の良さの中で弱まります。実際、人生を一番楽しんでいる人たちというのは、岸辺の安全性を手放した人たちで、いのちを他の人々に伝える務めに情熱を燃やしている人たちです」[4]。教会が福音宣教の務めを呼びかける時、キリスト教の信者たちに人格としての実現を可能にするほんものの躍動力を示しているに過ぎません。「ここで、現実のもう一つの深い法則を見いだします。いのちというのは他の人々にいのちを与えるためにこれをどれだけささげるかによって到達し成熟していくのだ、という法則です。結局はそれが宣教なのです」[5]。そういうわけで、福音を伝える人は、いつもいつも葬式の時の顔をし続けているわけにはいかないのです。「涙のうちに種をまかなければならない時までも、福音を伝えることの甘美で力強い喜び」や熱意を取り戻し、これを培いましょう。「[]そして願わくば、現実の世界が-時には悩みつつ、時には希望をもって探し求める世界ですが-、そうして福音を受けることができますように。それも悲しく元気がなく忍耐に欠け欲張りな福音の伝え手を通してではなく、その生活がだれよりもまず自らが、キリストの喜びを受けたことのある人の持つ熱意をぎらぎらと輝かせている福音の奉仕者を通して」[6]


[4] 第五回ラテンアメリカおよびカリブ司教協議会総会『アパレシーダ文書』(2007629), 360.
[5] 同上.
[6] パウロ六世、使徒的勧告『福音宣教』1975128日), 80: AAS 68 (1976), 75.

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