2013年12月19日木曜日

57 第二章、共同体的献身の危機にあって>I. 現実の世界のいくつかの挑戦>奉仕する代わりに統治する金に対して否を



奉仕する代わりに統治する金に否を

57.この態度の裏には倫理の拒絶と神の拒絶とが隠されています。倫理はしばしばあざけりに満ちたある種の軽蔑の眼差しを持って見られます。それは、逆効果、あまりに人間的であると捉えられています。なぜなら金銭と権力を相対化するからです。このことを脅威として感じています。というのも操作と人の堕落を断罪するからです。要するに、倫理は市場のカテゴリーの外にある献身的な応えを待つ神へと導くのです。このために、もしそれが絶対化されているならば、神はコントロールできず、操作できず、さらには危険です。それは、人間をそのまったき実現とあらゆるタイプの奴隷状態からの独立へと呼びかけるからです。倫理は―― イデオロギー化されていない倫理は――より人間的な社会バランスと社会秩序を作ることができるようにします。この意味でわたしは、国々の財政の専門家たちと政府の人々が、昔の知恵者の次のような言葉を熟慮するように、と鼓舞します。「自分の財産を貧しい人たちと分かち合わないことは、彼らから盗むことであり、彼らの命を奪うことであります。わたしたちが持っている財産はわたしたちのものではなく、彼らのものなのです」[55]


[55] 聖ヨハネ・クリゾストモ『ラザロの説教』II, 6: PG 48, 992D.

0 件のコメント:

コメントを投稿