2013年12月3日火曜日

28 第一章:教会の宣教的変容>II. 立ち返りつつある司牧>後回しにできない教会の刷新



28.小教区は老衰してぼけた構造ではありません。というのはまさに、すばらしい実用性に富み、牧者と共同体の宣教に関する素直さと創造性が求められるとてもさまざまな形を取ることができるからです。たしかにもちろん小教区だけが福音を広めていく機関だというわけではないのですが、もしたゆまなく自らを革新させ、新しい要求に合わせていくことができれば、「『社会のただ中で生きている』教会(その息子たちとその娘たちの家と家との間で生きている同じ教会)」[26]であり続けるのです。このことには小教区が本当に人々の家庭や民の生活とのコンタクトのうちにあり、人々から分離された退屈な構造、あるいは自分たちだけ見つめ合う選ばれた人たちだけのグループになってしまわないことが想定されます。小教区というのは地域における教会の現存であり、み言葉への傾聴、キリスト者の生活における成長、対話、告げ知らせること、寛大な愛徳、礼拝、祝いの空間なのです[27]。その活動すべてを通して、小教区はそのメンバーたちが福音を広めていく代表者となっていくように励まし、養成をします[28]。それは共同体と呼ばれるものの中でも模範となる共同体であり、渇く人々が歩き続けるために水を飲みに行く聖地であり、またたゆまぬ宣教の派遣センターなのです。けれど認めざるを得ないのは、諸小教区の見直しと刷新は、人々のもっと近くにいて、活き活きとした交わりと参加の空間となり、完全に宣教へと自らを導いて行くためにはまだ充分な実りをもたらしていない、ということです。


[26] ヨハネパウロ二世、シノドス後使徒的勧告『信徒の使命と召命』(19881230日), 26: AAS 81 (1989), 438.
[27] 提言 26参照.
[28] 提言44参照.

0 件のコメント:

コメントを投稿