2013年12月1日日曜日

11 導入>II. 福音を伝えることの甘美で力強い喜び>永遠の新しさ



永遠の新しさ

11.新たに伝えられることは信者たちに、生ぬるい信者にも、信仰の内容を実践しない人たちにも、信仰における新しい喜びと、福音を伝えることに伴う実りをもたらす力を提供します。実際、その中心と本質はいつも同じです。つまり死んで復活したキリストにおいてその計り知れない愛を示して下さった神さまです。神さまはその信者たちをいつも新しくします。たとえ年を取っていてもです。「彼らの精力を新たにすると、彼らはワシのように羽を伸ばして上り、息を切らすことなく走り、疲れることなく歩くようになる」(イザ4031節)。キリストは「永遠の福音」(黙145節)であり、「昨日も今日も、また永遠に変わることのない方」(ヘブ138節)ではありますが、その豊かさと美しさは尽きるところを知りません。キリストはいつも若く、新しいことのたゆまぬ源泉なのです。教会は「神の富と知恵と知識の深さ」(ロマ1133節)に驚いてやみません。十字架のヨハネはこう言っていました。「神のこの知恵と知識の濃さはあまりに深く広大で、たとえ魂がそのことを知っていたとしても、いつでももっと奥深くに入る余地があるのです」[7] 。また、聖イレネオは次のように言明していました。「(キリストは)、その来臨において、あらゆる新しさをもってきました」[8]。キリストはその新しさで、いつでもわたしたちの生き方、わたしたちの共同体を新たにすることができます。そしてたとえ暗い時代や教会の弱さを通りすぎるにしても、キリスト教の提案は決して古びたものになることはないのです。イエス・キリストはまた、イエスを閉じこめようとするつまらない枠組みを打ち壊し、その神のたゆまぬ創造力でわたしたちを驚かせます。源泉に戻り福音の本来のさわやかさを取り戻そうと試みるたびに、様々な新たな道や、創造的な方法論、別の表現の仕方、より雄弁なしるし、現実の世界にとって新たにされた意味をたっぷり抱えたことばが湧き出てくるのです。実際、ほんものの福音を伝える行動はすべて、いつでも「新しい」のです。


[7] 霊歌』, 36, 10.
[8] 異端論駁』, IV, c. 34, n. 1: PG 7, 1083: «Omnem novitatem attulit, semetipsum afferens».

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