2013年12月1日日曜日

13 導入>II. 福音を伝えることの甘美で力強い喜び>永遠の新しさ



13.またこの使命の新しさを根こぎとして、わたしたちを受け入れわたしたちを前へ前へと投げてくれる生きた歴史の忘却として理解するようなことになってもいけません。記念はわたしたちの信仰の一次元で、イスラエルの記念との類比では、「第二律法(申命記)的」と呼ぶこともできるものです。イエスはわたしたちに聖体祭儀を残しますが、それは教会の日々の記念で、わたしたちをますます過越しへと導き入れるものです(ルカ2219節参照)。福音を宣べ伝える喜びは、感謝に満ちた記念を底流に、いつもその上に輝きます。それはわたしたちが求めるべき恵みなのです。使徒たちは、イエスが自分たちの心に触れた瞬間を決して忘れることはありませんでした。「それは午後四時ごろのことであった」(ヨハネ139節)。イエスと共に、記念は「おびただしい(本当に雲のように寄り集まった)証人の群れ」(ヘブ121節)をわたしたちの目の前に現存させます。そのなかで、わたしたち信じる者の喜びを湧きださせるために特別な仕方で関わった数人が取り上げられます。「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい」(ヘブ137節)。時々それは信仰生活の最初の一歩を始めさせてくれた質素で身近な人々のことです。つまり「あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りました」(IIテモ15節)。信じる者は、根本的に「記念に満ちている」人です。

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