215.他にも、たびたび経済的関心や無差別な利用のもとにあるか弱く無防備な存在があります。わたしは被造物全体について言っています。人間存在は、単なる恩恵を被っている存在なのなく、他の被造物の擁護者なのです。わたしたちの身体的な現実によって、神はわたしたちを取り巻く世界に実に直接的にわたしたちを結びつけています。地質の砂漠化は一人一人にとっての病気のようなものですし、一つの種の絶滅をまるで手足を切断されるかのように嘆きます。わたしたちの歩みが、わたしたちのいのちや次に続く諸世代を脅かすような破壊と死のしるしに留まらないようにしましょう[177]。この意味で、フィリピンの司教団が何年も前に表現した美しくも預言的な嘆きをわたしは自分のものとします。「信じられないほどの種類の昆虫たちが森にすんでいて、あらゆる勤めに従事していました。[…]鳥たちは空を飛び、その輝かしい羽根とさまざまな歌声は森の緑に色と音色を加えていました。[…]神はこの地球と、その特別な被造物をわたしたちに与えたいと望みました。けれどそれはわたしたちがこれを破壊し、荒れ地に変えてしまうためではありませんでした。[…]たった一晩の雨の後で、あなたの住んでいるところのチョコレート色で真茶色の川をごらんなさい。そして土地の生きた血が海に運ばれていることを思い起こしなさい。[…]わたしたちが汚染したパスィグ川や他の多くの川のような下水のなかで泳げる魚などいるでしょうか? 誰が素晴らしい海の世界をいのちと彩を奪い取られた水面下の動物たちの墓場にしたのでしょうか?」[178]。
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