2014年6月3日火曜日

187 第四章 福音宣教の社会的側面>II 貧しい人たちの社会的包含>神とともに叫びに耳を傾ける



187.キリスト者一人一人、またそれぞれの共同体は貧しい人たちの解放と推進のための神の道具となるように呼ばれています。そうして貧しい人々が社会に完全に参与できるようにするのです。このことは貧しい人の叫びを聞き彼を救うために従順かつ注意深く気付けるようにしておくことが前提となっています。どのように善い方である御父が貧しい人々の叫びを聞こうとなさっているかを見出すためには聖書を流し読みするだけでも十分です。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しさをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、[…]今、行きなさい。わたしはあなたを[…]遣わす」(出エジプト37810節)。そして民の必要に応じようとする姿勢を示します。「イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、主は彼らのために一人の救助者を立てられた」(士師記315節)。わたしたちが貧しい人々に耳を傾ける神の道具である時に、その叫びが聞こえないふりをすることは、わたしたちを御父のみ旨とその計画の外に据えます。なぜならその貧しい人が「あなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう」(申命記159節)。そしてその必要における連帯の欠如は、わたしたちの神との関係に直接影響を及ぼします。「その人が恨みを込めてお前を激しく呪えば、造り主は、彼の願いを聞き入れられるから」(シラ書46節)。いつも古い問いかけに戻ってください。「世の富を持ちながら、兄弟が必要なものに事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう?」(Iヨハネ317節)。またどれほどの確信をもって使徒ヤコブが抑圧されている日飛び地の叫びの類型を取り上げていたかをも思い出しましょう。「畑を借り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。借り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました」(ヤコブ54節)。

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