2014年6月2日月曜日

181 第四章 福音宣教の社会的側面>I.ケリュグマの共同体的社会的反響>わたしたちに訴えかける神の国



181.わたしたちの間で先行し成長する神の支配する国は、すべての人に触れ、わたしたちにパウロ六世がほんものの発展に関係させて提案していた識別の基準を思い出させます。「個人としての人間全体、および人類全体」[145]です。わたしたちは「もし福音宣教が、福音と人間の具体的な生活とのつながり、すなわち福音と個人的および社会的な生活との絶えまない交わりを考慮に入れないならば、完全なものとはいえない」[146]ことを知っています。これは福音のダイナミックス特有の、普遍性の判断基準のことです。というのも御父はすべての人々が救われることを望んでおり、その救いの計画は「あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つに一つに集められます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つに集められるのです」(エフェソ110節)ということにあります。命令は「全世界に行って、すべての造られたものに福音をのべ伝えなさい」(マルコ1615節)です。なぜなら「被造物はすべて、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいる」(ローマ819節)からです。被造物すべてと言うとき、人間生活の全局面のことをも言おうとしています。そのようにして「イエス・キリストの良い知らせの宣告の使命には普遍的な目標地点があります。その愛徳の命令は存在の全局面、すべての個々人、共生のあらゆる環境、あらゆる村という村を包括するのです。人に関わることでこれと無関係になりうるものは何もないのです」[147]。真のキリスト者の希望は、終末論的な神の支配による国を探し求めるものですが、いつも歴史を生み出すのです。


[145] パウロ六世回勅『諸民族の進歩推進について』1967326, 14: AAS 59 (1967), 264.
[146] パウロ六世使徒的勧告『福音宣教』(1975128), 29: AAS 68 (1976), 25.
[147]第五回ラテンアメリカおよびカリブ司教総会『アパレシーダ文書』2007629, 380.

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