2014年6月4日水曜日

213 第四章 福音宣教の社会的側面>II 貧しい人たちの社会的包含>か弱い人々の世話をすること



213.教会が優先的に保護しようと望んでいるそうした弱者たちの間に、生まれようとしている子どもたちも入ります。子供たちはあらゆる人々の中で最も無防備で罪のない存在です。この子供たちに対して、今日、やりたい放題やっていて、その命を奪い、その行為を妨げる人が誰もい泣くようにと立法化を推進しながら、その秩序ある人間の尊厳を否定したがっている人々の犠牲になっています。頻繁にそうした人々は、教会が彼らのいのちに対して行っている用語の活動を面白おかしくバカにするために、教会の在り方を理念的で、反啓蒙主義的で、保守的な態度であるように紹介しようとします。しかしながら、この生まれようとしているいのちの擁護は、どのような人権擁護にも直接つながっているものです。どのような状況にあれ、どのような発達段階にあれ、人間はいつも神聖なものであり、侵害されるべきものではないという確信があると思われます。それはそれ自身に目的があり、他の様々な困難を解決するための手段であるなどということは決してありません。この確信が地に落ちれば、いつも回りまわる権力者たちの環境にある共生に隷従して、人権を守るための確かで永続的な基盤が残らなくなります。たった一つの理由でどのような人間のいのちにもある不可侵の価値を認識するには十分ですが、もしさらに信仰の目から見るならば、「人間の人格的尊厳への暴行はすべて、神の前で復讐を叫び、人間の創造者である神への無礼と何ら変わりません」[176]


[176] ヨハネ・パウロ二世シノドス後使徒的勧告『キリストを信じる信徒たち』19881230, 37: AAS 81 (1989), 461.

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