195.聖パウロがエルサレムの使徒たちに近づいて「無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないか」(ガラテヤ2章2節)を識別しに行ったとき、使徒たちがパウロに指摘した本物であることのカギとなる判断基準は貧しい人々のことを忘れていなかったかどうかにありました(ガラテヤ2章10節参照)。パウロが携わった共同体が異邦人たちの個人主義的な生活様式によって引き裂かれないための偉大な判断基準は、新しい個人主義的な異教主義を発展させる傾向にある現代の文脈においてもかなりの現実味を帯びています。福音の美しさそのものはわたしたちによって必ずしもいつもふさわしく表明されているとはいえませんが、決して不足してはならない一つのしるしがあります。それは最後の者、社会が切り捨て、排除する人々のために優先的に生きることです。
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