2014年6月4日水曜日

219 第四章 福音宣教の社会的側面>III 共通善と社会平和



218.社会平和はイレニズム(訳者註=平和を死守すべく推奨する教会の教義)やあるグループが他の諸グループに強制することによって獲得された単なる暴力の不在として理解されるものではありえません。また、貧しい人々を黙らせ落ち着かせ、より多くの利益を楽しむ人々が、他の人々が生き延びていられるならば特に目立つこともなく自分のライフスタイルを守り続けることのできるような社会構造を正当化するための言い訳として用いられるような平和も偽りの平和でしょう。収入の分配と確実に関連している、社会の要求事項や、貧しい人々の社会的内包、人権は、書斎の統計や少数の幸福な人のためのはかない平和を建設する言い訳によって窒息させられるべきではありません。人という人格の尊厳と共通善は、自分の特権を手放したくない幾人かの人々の平穏無事の上位にあるものです。こうした諸価値が害を受けているのが見受けられるならば、預言的な声が必要なのです。

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