2014年6月2日月曜日

182 第四章 福音宣教の社会的側面>I.ケリュグマの共同体的社会的反響>社会問題に関する教会の教え


182.偶発的な状況に関する教会の教えはより大きく新しい発展に依存するもので、議論の対象となりうるのですが、大きな社会規範が誰をも問いただすことのない単なる一般論に留まらないために、微細に入ることを求めているのではないですが、具体的になることを避けるわけにはいきません。現代社会のさまざまな問題に適切に対処することが可能になる」[148]ための実践的な結果を導き出さなければなりません。司牧者たちは、異なる化学から提供されるものを受け入れながら、人々の生活に影響を与えることすべてについての意見を発布する権利を持ちます。というのも福音宣教の務めは人間一人一人の統合的な推進を含み、これを強く求めるからです。もはや宗教は限られた環境に閉じこもらなければならず、天国のための魂を準備するためだけにあるとは言えないのです。神はその子らの幸福を、たとえ永遠の充満に呼ばれているとしても、この地上でも望んでいることを知っています。なぜなら神はすべてのものを「楽しませてくれるため」(Iテモテ617節)に、すべての人々がこれを楽しむことができるために創造したからです。そこから、キリスト者の回心は「特に社会秩序に属するものすべて、また共通善の獲得に属するものすべて」[149]を再吟味することを強く求めるのです。


[148] 聖座顧問『正義と平和』教会の社会教説綱要, 9.
[149] ヨハネ・パウロ二世シノドス後使徒的勧告『アメリカにおける教会』(1999122日)、27; AAS
91 (1999), 762.

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