2014年6月2日月曜日

178 第四章 福音宣教の社会的側面>I.ケリュグマの共同体的社会的反響>信仰宣言と社会献身



178.人間一人一人を無限に愛する御父への信仰告白をするということは、「このことをもって無限の尊厳をその人に授ける」[141]ことを見出すことをも含みます。神の子がわたしたちの人間的な肉体を見に帯びたということの信仰告白をするということは、一人一人の人間が神の心そのものに引き上げられたことを意味します。イエスがその血をわたしたちのために与えられたと信仰告白することは、すべての人間を尊いものとする限りない愛についての疑いを一切排除します。その贖いには社会的意味があります。なぜなら「キリストのうちに神は個人だけでなく、人間同士の社会関係もあがな」[142]うからです。聖霊がすべての人々のうちに働くと信仰告白することは、聖霊が人間のあらゆる状況やあらゆる社会的な絆に沁みとおっていこうとしていることを認識することをも含みます。「聖霊は神の想いに独自の、もっとも複雑で浸透性のないようなものまで含め、人の出来事のこんがらがった結び目をほどく、無限の創意豊かさを所持しています」[143]。福音宣教はその聖霊の解放と結びついた働きとも協力しようとします。三位一体の神秘自体が、その神の聖体的一致の似姿としてわたしたちが造られたためにわたしたちは自分自身では自己実現も救済もできないことを思い出させます。福音の心臓部から、あらゆる福音宣教の活動において表現され発展させられなければならない必要な、福音宣教と人間性の推進との間に存在する密接な関係をわたしたちは認識しています。神に愛されるようにし、神自身がわたしたちと関わるその愛をもって神を愛するようにと招く第一の宣告を受け入れることは、人の生活とその働きのうちに最初の基礎的な反応を呼び覚まします。それは、他の人々の善を望み、求め、守ることです。


[141] ヨハネ・パウロ二世、障がい者へのメッセージ、お告げの祈り(19801116): Insegnamenti 3/2 (1980), 1232.
[142] 聖座顧問『正義と平和』教会の社会教説綱要, 52.
[143] ヨハネ・パウロ二世、要理(1991424): Insegnamenti 14/1 (1991), 856.

0 件のコメント:

コメントを投稿