2014年6月4日水曜日

197 第四章 福音宣教の社会的側面>II 貧しい人たちの社会的包含>神の民における貧しい人々が優待される場



197.神の心には貧しい人々のための優先的なスペースがあり、それは神自身が「貧しくなられた」(IIコリント8章9節)ほどにです。わたしたちの贖いの歩みはすべて、貧しい人々のために示されています。この救いは大帝国の中心から外れた郊外にある、忘れ去れた小さな村にいた貧しい娘の「はいという答え」を通してわたしたちに訪れました。救い主は最も貧しい人々の子どもたちにそうであったように、動物たちの間で、馬小屋で生まれました。仔羊のために払うことのできなかった人々の奉納物である、二羽の雛とともに(ルカ2章24節、レビ5章7節参照)神殿で奉献されました。質素な労働者の家庭で育ち、自分の手でパン(糧)を得るために働きました。御国を告げ知らせ始めたときには、富を持たない大群衆が彼に従いました。そうして、イエス自身が語っていた次のことが示されたのです。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために…わたしを遣わされた」(ルカ4章18節)と。痛みに満ちた人々、貧困に苦悩していた人々に、神がその心の真ん中で彼らを思っていることを確言しました。「あなたがた貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである!」(ルカ6章20節)。彼らと自分を同じものであるとして「お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせ」てくれたと語り、こうした人々への憐れみは天国のカギであると教えました(マタイ25章35節以下)。

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