2014年6月4日水曜日

220 第四章 福音宣教の社会的側面>III 共通善と社会平和



220.それぞれの国で、住民は、支配的な力によって引きずられる一群としてではなく、ある民のふところにある責任ある市民として自らの在り方を見定めながら、その生活の社会的局面を発展させます。「忠実な市民であるということは一つの徳であり、政治生活への参与は道徳的な義務だ」[180]ということを思い起こしましょう。けれど〈民〉になっていくことは、さらに向こうを行っていて、新しい世代それぞれが巻き込まれているとみられるたゆまぬプロセスが求められています。それは遅いけれど熱心な仕事で、多様な形の調和にある出会いの文化を発展させるまで統合しそれを行うことを学ぼうと望むことを強く望みます。


[180] カトリック司教合衆国評議会、司牧書簡『忠実な市民になる意識を培いながら』(2007), 13.

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