2014年4月16日水曜日

156 第三章 福音の告知>II. 説教の準備>教授法的手段



156.何を言わなければならないかを知っていることで良い説教者になれると信じている人もいますが、彼らは〈どのように〉の部分、説教を繰り広げる具体的な形を大切にしません。ほかの人たちが自分の話を聞かなかったり、良いものと認めなかったりすると文句を言います。けれどおそらく、メッセージを紹介するのにふさわしい形を探そうと努力しなかったのかもしれません。「福音宣教の内容はもちろん大切ですが、それに劣らず重要なものは、福音宣教の方法や手段で」ある[124]ことを思い出しましょう。説教の仕方に対する配慮は、深く霊的な態度でもあります。それは、わたしたちの能力と、たしたちが主に任されている使命へのわたしちの独創性のすべてをもって自らをささげつつ、神の愛に答えることなのです。けれど同時に、これは隣人愛の最良の訓練でもあります。なぜならあまり質の良くないものを他の人々に差し出したいとは望まないからです。聖書では、例えば、ふさわしい長さを守る秩序において説教を準備するようにとの勧告に出会います。「簡潔に話せ。わずかな言葉で多くを語れ」と。


[124] パウロ六世、使徒的勧告『福音宣教』(1975128日)、40: AAS 68 (1976), 31.

0 件のコメント:

コメントを投稿