2014年4月16日水曜日

152 第三章 福音の告知>II. 説教の準備>霊的読書



152.主がわたしたちにそのみことばにおいて語ろうとし、聖霊によってわたしたちを変えようとすることに耳を傾ける具体的な形があります。わたしたちが「レクチオ・ディヴィーナ」と呼んでいるものです。これは祈りの時に、わたしたちを神のみことばが照らし、わたしたちを新たにするのをゆるすためのみことばの読書のことです。この聖書の祈りに満ちた読書はテキストの中心メッセージを発見するために説教者が行う研究と分離していません。その反対に、自分自身の人生に〈そのメッセージ自身〉が何を言っているかを見つけようとするために、そこから出発しなければならないのです。あるテキストの霊的読書はその文字通りの意味から始めなければなりません。そうでなければ、簡単にそのテキストに自分に都合のいいように、自分の決定を確かなものとするために役立つように、自分の観念的枠組みに当てはめるために、語らせてしまうでしょう。これは、決定的に、何か聖なる者を自分の利益のために援用すること、神の民にその混乱を移行させることになるでしょう。時々「サタンでさえ光の天使を装う」(Ⅱコリ1114節)の妥当言うことを決して忘れないようにしましょう。

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