2014年4月9日水曜日

142 第三章 福音の告知>II. 説教>人々の心を燃え立たせることば



142.対話はすっと真理の伝達以上のものです。対話は語ることを楽しむことと、言葉を通して愛し合う人々の間で伝え合われる具体的な良いことをもって実現されます。それは物事にある良いことではなく、対話のうちに理解しあう人そのものにあるのものなのです。道徳主義的であるか、教義を教えようとする以外の何物でもないような説教、また聖書解釈の授業になってしまうような説教は、説教において心と心に通い、ほぼ秘跡的な性質を持つべきであるこのコミュニケーションを弱めてしまいます。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10章17節)。説教において、真理は美と善を超えていきます。これは抽象的な真理や冷淡な三段論法についてのことではありません。なぜなら主が良いことの実践を評価するために用いていたイメージの美しさをも伝えられるからです。忠実な民の記憶は、マリアの記憶と同様、神の素晴らしさにあふれているべきなのです。彼に伝えられた愛の喜ばしく可能な実践の希望に満ちたその心は、聖書にあるあらゆる言葉が、強制するものであるより以前に賜物であると感じるのです。

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