2014年4月11日金曜日

149 第三章 福音の告知>II. 説教の準備>みことばを自分のものとすること



149.説教者は「まず司祭自身が神のことばに親しまなければなりません。言語学や釈義上の知識も必要ですが、それで十分ではありません。従順と祈りの心でみことばに近づくことが司祭には必要です。そうすることで、みことばは司祭の考えや感情に深く入り込み、…新たな視野を生み出」すのです[115]。日々、また主日ごとに、わたしたちの説教を準備する熱意を刷新し、もしわたしたちのうちに説教しているみことばによって愛が育つかどうかを確かなものとするのはわたしたちにとって益となることです。「とくに役務者の聖性の度合いは、みことばの宣教…に実際に影響を与えます[116]。聖パウロが言うように、「人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです」(Iテサ24節)。もしわたしたちがまず、説教しなければならないみことばを聞くこの望みが生き生きとしているなら、このことは神の忠実な民に、「人の口から…心にあふれていることが出てくる」(マタ1234節)あれやこれやの仕方で伝えられるのです。主日の朗読はもしそのように牧者の心の中で響いたなら、民の心の中でその輝きのすべてをもって響くことでしょう。


[115] ヨハネ・パウロ二世、シノドス後使徒的勧告『現代の司祭養成』(1992325日)、26: AAS 84 (1992), 698.
[116] 同上、25: AAS 84 (1992), 696.

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