144.心から語るということは、これを燃えて保つことだけではなく、啓示のその全体によって照らされ、その言葉が長い歴史の中で教会とその忠実なわたしたちの民の心臓部において廻った歩みを通して照らされることを含みます。キリスト者のアイデンティティは、わたしたちが小さい時から御父がくださった洗礼にみられるその抱擁ですが、わたしたちが放蕩息子のように、-そしてマリアにおける寵愛を受けた者として-、もう一つの抱擁、つまり栄光においてわたしたちを待っている憐みに満ちた御父の抱擁を切望するようにします。わたしたちの民がこうした二つの抱擁のただなかにあるように感じられるようにするのは、福音を宣言するものの厳しいけれど美しい務めなのです。
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