2014年4月10日木曜日

143 第三章 福音の告知>II. 説教>人々の心を燃え立たせることば



143.文化内開花された説教の挑戦は、ばらばらの概念や価値ではなく集大成の形で福音宣教することにあります。あなたの集大成のあるところにあなたの心があるのです。集大成の場を照らすこととばらばらの概念を照らすことの間にある違いは、退屈さと心の熱意の間にあるものと同じです。説教者には、愛し合う心と心、主の心とその民の心を一つにするという最高に美しくそれでいて難しい使命があるのです。神とその民との間にある対話は、両者の間にある契約を確かなものとし、愛徳のきずなの幅を広げるのです。説教が続く間、信者たちの心に沈黙をもたらし、人々が主に語ることができるようにするのです。主とその民は直接、媒体を必要とせずに何千もの仕方で語り合います。けれど説教において、両者とも誰かがその道具となり、そのさまざまな気持ちを表現し、そうしてその後で一人一人が自分の会話をどのあたりから続ければいいかを選べるようにしてくれるのを求めているのです。言葉は本質的に仲介者であり、対話する二人のものだけではなく、「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです」(IIコリ45節)ということを確信した、そのことばを代表する説教者のものが求められるのです。

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