2014年5月3日土曜日

172 IV.ケリュグマを深めるための福音宣教>成長のプロセスの個人的人格的な同伴



172.同伴者は一人一人の相手の神と自分の恵みのうちにある人生の状況は、外からはだれにも決して完全に知ることのできない神秘であることを認識することができる人です。福音はわたしたちに、人を自分の行動の客観的な悪の認識に始めて修正し、成長するのを助けるようにと提案しています(マタイ1815節参照)。だからと言って自分の責任と罪責についての批判を免れているというわけではありません(マタイ71節、ルカ637節参照)。いずれにせよ、よい同伴者とは、宿命論や臆病のことではありません。いつでも、癒されることを望むこと、担架を担いでいくこと、十字架を抱きしめること、すべてを捨てること、いつも改めて福音をのべ伝えるために出かけていくことへと招くものなのです。わたしたち自身が同伴され癒されるにゆだねる独自の体験で、わたしたちに同伴してくれる人の前で完全な誠実さをもって自分の行き方について表現できるようになるのですが、この体験は、他の人々に対して忍耐強く共感に満ちた人になることを教え、わたしたちが相手に信頼、開き、成長するための心構えを目覚めさせる方法を色々と見出すためにわたしたちを整えるのです。

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