2014年5月3日土曜日

169 IV.ケリュグマを深めるための福音宣教>成長のプロセスの個人的人格的な同伴



169.匿名でパラドックスのように傷つき、同時に他の人々の生活のこまごまとしたことが気になって仕方がなく、不健康な好奇心で羞恥心なく病的な文明において、教会は必要な限り何度でも、他者の前で観想し、感動し、留まるための身近なまなざしを必要としています。この世で叙階された奉仕者と他の司牧の担い手は、イエスの近しい存在の香りと人格的・個人的なまなざしを現存させることができます。教会は兄弟たち―司祭たち、修道者たち、信徒たち―に、この「同伴のアート」を始めさせなければなりません。そしてすべての人々がいつも他者という聖地を前に履物を脱ぐことを学ぶためです(出3章5節参照)。尊敬に満ち、共感に満ちたまなざしをもって、しかし同時にキリスト者の生活において癒し、解放し、成熟するのを促すような親近性のある癒しのリズムをわたしたちの歩みに与えなければなりません。

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