2013年11月28日木曜日

5 導入>I. 新たにされ、伝えられる喜び



5. 福音は、キリストの十字架が目をくらませるほどの栄光に輝くところではありますが、何度も何度も喜びへと招いています。いくつかの例を挙げるだけで充分でしょう。「喜びなさい」とは天使のマリアへのあいさつです(ルカ128節)。マリアのエリザベト訪問はヨハネをその母胎の中で喜びのあまり飛び跳ねさせます(ルカ141節)。マリアはその歌の中で宣言します。「わたしの霊はわたしの救い主である神のうちに喜びにうち震えます」(ルカ147節)。イエスが奉仕職を始める時、ヨハネは叫んで言います。「この人こそがわたしの喜びです。それもその喜びが満ち満ちた状態にまでなりました」(ヨハネ329節)。イエス自身、「聖霊のうちに喜びに満たされました(ルカ1021節)。そのメッセージは歓喜の源でした。「こうしたことをあなたたちに言ったのは、わたしの喜びがあなたたちの中にあり、あなたたちの喜びが満ち満ちた状態になるように」(ヨハネ1511節)。わたしたちのキリスト的喜びは、あふれるそのキリストの心の泉から飲むのです。キリストは弟子たちにこう約束しました。「あなたたちは悲しむだろう。しかしあなたたちの悲しみは喜びに変わるだろう」(ヨハネ1620節)。そしてしぶとく言います。「あなたたちをもう一度見ることになっている。そしてあなたたちの心は喜ぶだろう。そしてだれもあなたたちの喜びを奪うことはできないのです」(ヨハネ1622節)。その後で弟子たちは、復活された方を見ると「喜びました」(ヨハネ2020節)。使徒言行録は最初の共同体は「喜びながら食事をした」と語ります(使徒246節)。弟子たちが通って行くところには「大いなる喜び」がありましたし(使徒88節)、弟子たちは、迫害のさなかで「歓喜に満たされていた」のです(使徒1352節)。一人の宦官は、洗礼を受けるや否や、「歓喜に満たされながらその旅路を続け」(使徒839節)、牢の看守は「神を信じたことでその家族全員といっしょになって喜んだ」(使徒1634節)。わたしたちもその喜びの潮流に入ろうではありませんか?!

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